古賀 稔彦

古賀塾 塾長
講道館九段

こが としひこ
昭和42年11月21日生

常に一本を取りに行く柔道と、小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、豪快な一本背負投が得意技であることから「平成の三四郎」の異名をとった。

元IPU環太平洋大学 体育学部体育学科教授 柔道部総監督
元日本健康医療専門学校校長
医学博士

1967年福岡県出生・佐賀県出身。
中学に進学と同時に上京、東京・世田谷の「講道学舎」に入門し、弦巻中学、世田谷学園高時代に数々の全国大会を個人・団体戦で制覇。
日本体育大学進学後”平成の三四郎”の異名をとり、1987~1992年全日本選抜体重別選手権をはじめ、1989年・1991年の世界選手権を連覇。
1992年のバルセロナ五輪では、大会直前の大ケガを背負いながらも金メダルを獲得、両手を広げ雄たけびを上げ、日本中の感動を呼んだ。
その後1996年アトランタ五輪では銀メダルを獲得。
2000年4月に現役引退。

その後、人の夢の後押しをする指導者の道に魅せられ、「指導者・古賀稔彦」として全日本女子柔道チーム強化コーチを務めるかたわら、2003年4月からは子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を開塾。
2004年のアテネ五輪では、金メダルを獲得した谷本歩実のコーチとしても 脚光を浴び、愛弟子を称えた抱擁のシーンは感動を呼んだ。

その他、全日本柔道連盟女子強化委員、東京オリンピック基本構想懇談会委員を歴任した。
2007年4月からはIPU環太平洋大学の女子柔道部総監督として就任し、2008年には
日本健康医療専門学校校長に就任。

2011年10月、全日本学生柔道体重別団体優勝大会で大会2連覇へ導いている。

また、柔道の指導者として、子供たちや選手たち、一人一人にとって本当に必要なものを伝え・教え・サポートしていきたいと思いから、医学の勉強を決心し、2012年には弘前大学大学院医学研究科博士課程を修了し、医学博士号を習得。

2020年まで、幼児から一般の方まで幅広く柔道を伝えてきた。

2021年3月24日、がんのため神奈川県川崎市の自宅道場で死去した。53歳没。